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戦後60年「平和を祈って戦争体験を伝える」
琴平町 大橋さん 74歳 男性 
「戦後60年に思う」
 昭和19年に父親の病気のため、満州より内地へ帰国。旧制中学の入試が終わっており、高等科へすすむ。翌年、中学へ入学。父親病死の後、新制中学に切り替えの時に、新制中学卒業。
 以後、就職は幸いに恵まれ、平成17年の春退職するまで55年間仕事一途に頑張りました。良き妻に良き子ども、孫に恵まれ、戦後60年間振り返れば、多くの苦労も今では、いろいろな想い出として、今後も元気で社会のために、町内のボランティア活動、老人クラブの行事に参加しています。思えば、故郷好きな町琴平があり、大変良かったと思います。
 
 土庄町老連機関紙第15号(平成17年12月30日)から掲載
土庄町 中村さん 80歳 男性 
「奇跡の連続」
 多くの人が一度や二度は、もし、あの時、こうだったらと思うとゾットするような生死の関頭に立ったことがあると思います。ご紹介する中村さんはその数が驚くほど多く、全く幸運の人と言わざるを得ません。
 以下は、平成17年9月上旬に、中村さんから伺ったことを要約したものです。 (文責:港 武慶)
 
 戦争中、多くの方が生と死の分岐点に立って(もしくは立たされて)、自らの選択ではなく命拾いをしたという経験をしていると思います。私は、そんな経験を何回もしました。
 黄海(中国と朝鮮半島との間)で、1週間にわたる筏での漂流。(その時、海水では渇きが癒えないことをしみじみ体験しました。)台湾海峡での、1日の差で奇跡的に助かったこと(僚船二隻は前日に出港したため撃沈、全員死亡)など話をすれば沢山ありますが、そのうちの一つをお話しします。
 昭和19年、私は徴用船の機関長として中国各地、台湾等で軍需物資の輸送に当たっておりました。
 戦雲ますます急になるに従い兵役年齢が引き下げられ、丁度上海にいた時、地元小豆島へ帰国して兵役につくよう命令が来ました。徴用船の船員の身分は軍属でしたので、船長は、我々も軍の仕事をしているのだから何とか兵役の免除をしてもらえないかと司令部の方に掛け合ってくれました。船長としては、兵隊に行くよりもこちらの方が安全だという思いやりの気持ちがあったのだろうと思います。しかし、どうしても駄目だということで、内地に帰り兵役につきました。昭和20年1月でした。
 終戦後復員すると、私の乗っていた船は下船まもなくフィリピン沖で撃沈され、船長以下全員が戦死しておりました。
 兵隊に行った為に命拾いをした人と言われますが、自分でも奇跡だと思っております。戦死した皆様の御冥福をお祈りいたします。

土庄町 鷹尾さん 86歳 男性

「降伏調印式」
 昭和20年9月13日、マライ管区の降伏調印式が、首都クアラルンプールで、行われた。
 私は、青木司令官に随い、参謀少佐として之に列した。敗軍の参謀、心は暗く重かった。
 式場では、正面中央に英印第55師団長ウッド少将、両隣にハリス中佐参謀長、マックドーナー参謀少佐他が居並び、私たちは一例して正面に対座し、両軍通訳が中間に立った。机上に一冊の英文文書があった。ウッドは、やおら口を開き「戦争が終結して、世界に平和がきた事を共に喜ぼうではないか」と語りかけた。青木司令官は、スックと立ち上がり「日本は戦争に敗れたが、小官も全く同意見であります」と応じた。
 ウッドは満足げに頷いて、「マライの明け渡しがスムーズに実行されることを期待する」と続けた。
 青木司令官は、「吾々は天皇の大命に依り、誠実に貴軍の指示に従います」と応じた。
 ハリス参謀長が代わって、机上の降伏文書をもう一度検討するよう丁寧な口調で促した。
 大野通訳と急いで一条毎読み直した内容は、先日来、「ハリス・マックドーナー」と、「青木・鷹尾」との間で交わした事前協議のままで、厳しいが異議はなかった。
 ウッドは気長に待ってくれた。「是でよろしいか、大丈夫だな」と、何度も念をおした。吾が「結構です」の返答を待ち、両将が巻末に署名した。ウッドは更に、「明日の武装解除式も、平穏に終了することを期待する」と附言し、微笑みながら式の終了を告げた。やれやれ、斯くして息詰まる降伏調印式は無事終わった。
 勝って威張らず、終始にこやかに接してくれた温容のウッド師団長。私は何故か旅順開城水師営の乃木将軍を想起せずにはおれなかった。実に感銘深いものがあった。
 そして、かつてシンガポールで、卓をたたいて「イエスかノーか」と怒鳴った山下将軍を思った。それは日本武士道ではない、と今も思う。
 
 

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